教会案内

キリスト教について

あなたのご質問に答えます。よく寄せられるご質問と答えを掲載しております。

はじめて教会にこられた方へ

菊名教会のホームページによく来てくださいました。

「毎日、つらいことばかり。外にでようとしても、靴をはくことさえできません。誰かと話をする気力もなくて閉じこもっています。」

そんなお気持ちの方も、今あなたが開いたこの教会ホームページとの出会いから、「より良い生きがいの人生」への一歩が生まれますように・・・。

なやみばかりの苦しい道を歩いている方、ぜひ一度、その歩みを菊名教会にむけてください。

キリスト教に関心があります。どのようにすればよいでしょうか?

イエス・キリストは、今から2千年前になくなった人です。なくなった、というよりも、処刑されて殺されたといってかまいません。その最後の処刑場にむかうとき、イエス・キリストは自分がはりつけにされる大きな十字架を背おわされ、はだしで丘の坂道をのぼりました。兵士にせかされ、殴られ、ののしられ、血まみれでした。

長く、苦しい上り坂の終わりに待っているのは、自分自身の死です。イエス・キリストは私たちと同じ人間でしたから、苦しみ、悩み、息もきれぎれに歩きましたが、けっして上り坂を恐れません。なぜなら、私たち人間は、死や上り坂に打ちかつ心のはたらきを持つからです。イエス・キリストはそれを教えるために、歩きつづけました。

私たちは、イエス・キリストの歩いた長くつらい上り坂をよく知っています。あなたの歩む苦しい上り坂にも、心をひらいて接することができます。教会の大事な集まりは、毎週日曜日のミサ(主日ミサ)。日曜日午前10時からです。教会の前の庭に、「案内係」というプレートや腕章を付けた人がいますので、声をおかけ下さい。

もし、話しにくいようでしたら、どうぞそのまま教会堂に入られ、あいている席についてください。式が始まっていてもかまいません。どうしてよいか困ったときには、隣の方に「初めてなので」とご質問ください。ご心配はまったく不要です。

ミサはだいたい1時間で終わり、教会堂の外でお茶などがでます。普段着に着替えた神父さんもいます。なんでもご質問いただければ幸いです。教会にいる人たちはお互いに仲良く話をしていて、そのなかに入りづらい雰囲気にみえるかもしれません。でも、それは間違いです。ひとこと、「今日、初めてきましたので」と言ってくだされば、話の輪がひろがります。ほんのすこし勇気をだしていただければ、大丈夫です。

教会にすぐに来られない方は、電話をするか、ファクスまたはこのホームページの「お問い合わせ」を通してご連絡ください。個人的に神父さんに会うことや、初めてキリスト教にふれる方々のためのキリスト教入門講座や祈りの会などに参加することも可能です。面談や勉強会の予定をお問い合わせください。留守の場合もありますが、電話に出た者にお気軽にご相談ください。

教会のとびらはいつも大きく開かれています。信徒をはじめ教会に来ている人は、みな同じように苦しい上り坂を歩みつつ、より良い生きがいや神の救いをもとめています。どうぞご一緒に祈り、イエス・キリストの教え、神の言葉に耳を傾けましょう。教会がそれ以外に、あなたに何か代償や奉仕を求めるようなことはありません。

聖書とはどういう本ですか?

聖書とは、神の教えを伝え、神がどれほど人を愛されているかまた神が行われた救いの物語を伝える書物です。つまり神とイエス・キリストについて書かれた信仰の書です。「旧約聖書」と「新約聖書」に大きく分かれています。

宗教には仏教の経典をはじめ、正式な教えを言葉や文字で伝える書物、「正典」があります。キリスト教におけるそうした書物が「聖書」で、旧約聖書はイエスが生まれる前に書かれた四十七の文書(なおプロテスタントは旧約の続編の差で三十九)、新約聖書はイエスの生涯と教えをイエスの弟子が伝える二十七の文書からなっています。古い時代に書かれたものでやや分かりづらいところもありますが、はじめて読まれる方にはイエスの教えを伝える新約聖書の四つの福音書、つまり「マタイによる福音書」、「マルコによる福音書」、「ルカによる福音書」、「ヨハネによる福音書」をおすすめします。

キリストの教えを分かりやすく紹介する本やお子さんのための絵本などもあります。大きな書店で手にとってみてください。

祈りとは?

「祈り」はキリスト者にとっては、最も大切な、そして基本的な行為です。

私たちは普通「祈る」というと、どうしても「病気が早くなおるように」、「試験に合格するように」といったことを考えがちです。でも、これは「お願い」であり、「祈り」とはすこし違うようです。

「祈る」とは、苦しみ悩んでいる私を早く助けてほしいというお願いではなく、苦しみ悩んでいる私の心をまず「神にあずける」ことなのです。私たちはいつも、なぜ自分が他の人よりも恵まれていないのだろう、なぜ一人で悩まなければならないのだろう、と思ってしまいがちです。頑張って他の人に追いつき、追い越そう、私だって力があるのだから負けないよ、と心に武装をしがちです。ともすると「お願い」は、他人に負けないための言葉、自分のことしか考えない頼み事になりやすいのです。

「祈り」とは、「心を神にあずける」こと、「神のまえでお願いをしないで黙ってみること」でもあります。神様の温かな愛の眼差しをを全身に感じとることでしょう。悩みに直面しているときに必ずしもすぐにできることではありませんが、教会はそうした「祈り」を多くの人とともに一緒に行おうとする場です。

カトリック菊名教会「聖堂」の50年

「アトンメントのフランシスコ会」日本本部は、地区長勝野巌神父のもとで新たな教会建設を決定し、新子安教会佐藤嘉雄神父と勝野神父が1956(昭和31)年4月に菊名駅周辺の候補地を調査しました。まもなく6月に現在の敷地、すなわち横浜市港北区篠原町字表谷に決定、土地630坪を購入。翌1957年1月4日には東京都杉並区高円寺の有限会社親建会工務所(代表取締役市野昌)と菊名教会聖堂新築の工事契約を結び、2月20日には上棟式。約4ヶ月の工期で1957年5月31日に竣工、受け渡しがなされました。

アメリカ聖公会のルレーナ・ホワイト修道女は1898年12月、ニューヨーク近郊グレイモアの廃墟の教会にて修道生活を開始し、翌年秋にポール・ワトソン神父が参加。この修道会はやがて、「あがない(贖罪)・一致」を意味するアトンメントとアッシジのフランチェスコを名称とする修道会「アトンメントのフランシスコ会(Franciscan Friars of the Atonement)」に発展します。1909年には教皇ピオ十世のもとで、カトリックの修道会となりました。

アトンメントのフランシスコ修道会は第二次世界大戦後、1948 年に日本宣教の代表者としてアルフォンサス・ホーバン神父を派遣。同神父はカトリック大阪教区、横浜教区との折衝を経て、横浜教区での司牧を決断し、横浜教区長から川崎・鶴見地区での宣教活動が認められました。1948 年11 月、鶴見に日本本部を設立。日本での公式名称は「アトンメントのフランシスコ会」。かつては「フランシスコ贖罪会」の名称も用いられ、現在は一般に「アトンメント会」とも呼ばれています(以下、アトンメント会と記)。1949年には米国・カナダで活動していた勝野神父や佐藤神父を含む6 名が、ついで翌年には、バレンタイン神父、エリック神父を含む宣教師4名が日本に派遣され、本格的な活動が軌道にのります。鶴見教会のほかに、新子安教会(1949)、津久井教会(1950)、貝塚教会(1950)、強羅教会(1951)、秦野教会(1951)を展開。1951 年には新鶴見教会を開設し、翌年に聖ヨゼフ学園を創立しました。

アトンメント会は、その守護聖人のひとり、パドヴァの聖アントニウス(ポルトガル語で聖アントニオ1195-1231)を菊名教会(当初は篠原教会とも呼ばれた)の守護聖人としました。聖アントニウスは、リスボンの貴族の家に生まれ、アッシジの聖フランチェスコとともにイタリアで活躍した優れた神学者。幼子イエスを抱く像で知られます。毎年、記念日6月13日にはリスボンで盛大な「聖アントニオ祭」が開かれます。

菊名教会聖堂が完成した翌月の1957年6月9日聖霊降臨の日、荒井勝三郎司教の司式で聖堂祝別式が行われました。初代主任司祭はヒヤシンス・コリン師(アトンメント会)。1960年信徒会館完成。1965年に聖堂増築工事が実施。1972(昭和47)年、小教区の管轄はアトンメント会から横浜司教区に移り、主任司祭として古谷功師が赴任されました。

聖堂新築にあたった親建会工務所は、1921(大正10)年東京四谷に設立された市野民次郎建築事務所を母体とし、戦後の1947年に創業。市野民次郎が築地教会など教会建築を手がけていた歴史をふまえ、今日にいたるまでカトリック関連施設の建築に数多くの業績をもっています。親建会工務所は自社設計も行いましたが、多数の教会建築設計をカール・フロイラーに委ねました。大和市南林間教会聖堂(横浜教区1952)、群馬県高崎教会聖堂(フランシスコ会1953)、福島県福島松木町教会聖堂(ドミニコ会1954)、滋賀県彦根教会聖堂(メリノール宣教会1954)、武蔵野市吉祥寺教会聖堂(吉祥寺教会1954)、国府津教会聖堂(聖コロンバン会1955)、藤沢教会聖堂(聖コロンバン会1955)、板橋教会聖堂(板橋教会1956)、武蔵小杉教会聖堂(アトンメント会1957)をはじめ、新子安教会聖堂(アトンメン会1963)にいたるまで、戦後の復興期に多数の教会建築がフロイラーと親建会工務所の協力のもとで実現。菊名教会についてみれば、フロイラーは、上記した工事契約や上棟式を勘案すると、1956 年秋に聖堂を構想・設計したと思われます。

カール・フロイラー(Karl Freuler 1912-2000)は、スイス出身の司祭で、建築家としても活躍しました。1912年12月5日にバーゼルに生まれ、建築専門学校に学んだのち、召命。1942年、ベツレヘム宣教会で叙階。ついで名門のスイス国立チューリヒ工科大学で建築を学び、1946年に中国に赴任。1948年東京に着任。まもなく建築家として日本国内の教会建築に従事することとなり、1952年には日本カトリック建築・美術委員会理事。1968年にスイスに帰国し、バーゼル、マグデンにて助任司祭。1982年からバーゼルの教区司祭、1998 年にはベツレヘム宣教会へ。インメンゼーにて2000年2月29日帰天。菊名教会聖堂はフロイラーの多数の建築設計プロジェクトのなかでも傑出した作品で、スイス木造建築の息吹を伝える優作として高く評価されてよいでしょう。

1998年2月、菊名教会信徒総会は2007年の創立50周年を期して新教会建設を提議しました。教会建築が経年変化とともに老朽化し、防災上の問題も生じたからですが、同時に第二ヴァチカン公会議の呼びかけにもとづいて「21世紀にあるべき新しい教会を建設しよう」との取り組みでもありました。間もなく「教会ビジョン研究会」が始まり、その活動の成果は、菊名ビジョン研究会報告書<みんなの教会ビジョン>(カトリック菊名教会『菊名いま』2001年2月特別号)にまとめられます。

2002年12月15日、「菊名教会ビジョン」をうけて、第1回建設委員会が開催されます。以後、20回余りの委員会活動をへて、2004年12月信徒全員に、新建築にふさわしい国内の教会・設計者・建築会社などの推薦が依頼されました。翌2005年1月に多数の設計事務所候補がリストアップ。設計事務所の選考については、設計素案を募り設計者を審査するプロポーザル方式を採用。長期にわたる調査・ヒアリング・建築素案掲示・説明会などをへて、2005年9月、信徒の総意として(株)村上晶子アトリエが設計事務所に決定されました。村上晶子氏は、東京芸術大学大学院建築設計専攻修士課程修了後、坂倉建築研究所に勤務。2001年に事務所を設立。カトリック神戸中央教会(2004)ほかの作品があります。明星大学理工学部建築学科教授。

2006年の一年間は、新教会をめぐる村上晶子アトリエと信徒との対話、ワークショップに費やされ、基本設計案が練られました。2007年春に、清水建設株式会社施工と決定。同年6月、起工式。2008年4月末に竣工し、6月7日、梅村昌弘司教の司式により、献堂式。

新教会の聖堂は身廊(270席+補助90席)・小聖堂(10席)・告解室・香部屋・泣き部屋(10席)・ナルテクス(前室)から、東館は集会室1,2,3(各30席、全室使用120 席[聖堂内の音声・画像中継可])・厨房・交わりのスペースから、西館は1 階が司祭執務室・事務室・洋室・和室・作業室、2階が司祭室1,2・神学生室・居間食堂・厨房からなります。東館の南側には「交わりのスペース」として、どなたもが自由にくつろぎ、話の輪にはいっていただける開放的な部屋が設けられています。菊名教会の新しい試みゆえ、ぜひご活用ください。

聖堂内には〈ステンドグラス〉(岩崎隆)と〈十字架の道行き〉(和紙・小林康生+書・守谷加奈子)が新たに設置されました。なお、安藤真樹〈イコン〉(模写[V.M.ヴァシネツオフ作、1890]2点、1979)ほか旧聖堂内の聖画像は継承され、各室に置かれています。建築面積:950㎡、延床面積:997㎡、S 造(一部RC 造)構造。設計・監理:村上晶子アトリエ。施工:清水建設株式会社。