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巻頭言

 アンジェリコの「受胎告知」の絵でも有名な、「神のお告げ」。聖書のこの記述は、繰り返し作詞作曲されては、カトリック教会や修道院では、何度も祈る伝統が育ちました。「お使いが神から遣わされる。おとめのところに。おとめの名はマリア。入ってきて言う。『おめでとう、恵まれたお方。主はあなたとともに。』(ルカ:1・26~45)」

  3月25日は「神のお告げ」の祭日です。キリストの降誕(クリスマス)から逆算して、9ヶ月前に受胎があったとする理由になります。この日は、神の子イエス・キリストがマリアの胎内に宿ったことを祝う日なのですが、もちろん、同時に進行によるマリアの受諾も記念します。主の降誕がなぜ12月25日なのか、には諸説があり、明らかではありません。大切なのは、「それが何を意味するのか」という信仰の問題なのです。

  神の呼びかけに同意するのは、決してやさしいことではありません。不安と恐れに戸惑うマリア。何も誇ることのない小さな者マリアを、神が選び、恵みと霊で満たし、マリアを通して、偉大なわざが行われました。そして、神は人間の同意と協力を待っておられる。私たちの同意なしでは、この救いを実現しようとはなさらない。できるから行うのではなく、自分の力をはるかに超えていることを理解しながらも、神に信頼して、神の導きに信頼を寄せることで、初めて救いのわざは実現して行くものなのでしょう。洗礼の恵みを受けたキリスト信者は、マリアに倣って、神の救いの働きに自分を差し出すのです。身の回りに、いくらでもその機会があります。小さなことを見逃さない心、寛大に応えていく心を祈り求めましょう。