巻頭言
先月は迷走する台風10号の影響でミサに来た人が少ない中、マラウイ支援の「せいぼじゃぱん(NPO)」代表が菊名教会を訪れた。コーヒーの試飲もあり、コーヒー豆をマラウイのために販売。「二、三人が私の名によって集まる所には、その中に私がいる。(マタイ18:20)」福音は伝わったと思うし、外部の人が入ると交わりとしての教会の普遍性が促進され、シノダリティーを感じる。飢えに死んで行く第三世界の子どもたちのために、台風に負けずやって来た代表の彼の熱意は教会の人たちに伝わったと思う。
私たちの教会の聖堂には、「サン・ダミアーノの十字架」のレプリカが掲げられている。十字架の上の雲の間から差し出された右手は神の手を表す。「十字架の死は父なる神のみ心で、それを今やイエスは引き受けた。」ことを語っているそのイエスがわたしたちに祈らせる。「み旨が天に行われるとおり、地にも行われますように。」(マタイ6・10)。ヨハネ福音書では、「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、私をお遣わしになった方のみ旨を行うためである。」(6・38)とキリストは明言する。このことは、さまざまなヴァリエーションをもって、聖フランシスコの生涯で繰り返されるが、教会に通うわたしたちにも思い起こされるのだ。十字架のキリストの目は見開いていて、復活の勝利を先取りしておられる。
4日は聖フランシスコの祝日。聖フランシスコは全被造物を受け入れる心、兄弟愛、私たちは神から愛されている喜び、平和に誰とも恐れずに対話する態度を通して、神の愛をわかりやすく伝えてくれたのは偉大だったと思う。