巻頭言

ごく最近まで放送されていたテレビドラマの中に、「倍返しだ!」というセリフがありましたが、その極端に誇張した言い方と主人公のキャラクターのせいなのか、一種の流行語のようにもなりました。言うまでもなく、この場合の「倍返し」は、結婚式のご祝儀などのお返しとは正反対の、受けた侮辱に対する仕返しを倍にして返すという意味です。
一方、聖書の中には次のような言葉があります。
「敵を愛し、あなた方を憎むものに親切にしなさい」(ルカ福音書6・27)
また、この章は次のように続きます。
「悪口を言う者に祝福を送り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい・・・」
これはドラマの「倍返し」とは正反対の考え方です。現代社会を生きるわたしたちにとって、ドラマのような「倍返し」は簡単に行えても、「敵を愛する」ことは非常に難しく感じられます。おそらくそれは、わたしたちが『人間の基準』の中で生きているからなのでしょう。

しかし、13世紀に生きたハンガリーの聖女エリザベト(1207-1231)は、常に『神の基準』によって行動した人でした。もともとハンガリー国王の娘として生まれた彼女は、4歳でチューリンゲン公ルードビッヒ4世と婚約し、結婚した後には三人の子宝に恵まれます。その後、不幸にして夫に先立たれたエリザベトは、再婚の勧めやハンガリー帰国の誘いを断り、遺産として受けた財産を投じて、ハンセン氏病患者の療養院を設立します。そして彼女自身も病人の看護を行いながら、清貧の中に生きました。このようなエリザベトの生き方は、当時の王侯貴族たちからは全く理解されず、逆にそれを改めるようにさえ言われました。しかし、真に神のみ心に沿って生きようとした彼女は、最後まで奉仕と清貧の生活を貫き、24歳の若さで亡くなるのです。
ところでわが身を振り返ってみると、どうでしょう?やはり憎しみを憎しみで返すような日々を送っているような気がして、時折自分が情けなくなることがあります。そんな時に効く特効薬。それがアッシジのフランシスコの『平和の祈り』です。

「神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに、愛を
いさかいのあるところに許しを
分裂のあるところに一致を
迷いのあるところに信仰を
誤りのあるところに真理を
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、望ませてください
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、自分を捨てて死に、
永遠の命を戴くのですから」