お知らせ

巻頭言

7月1日はペトロ岐部と187人の殉教者の記念日です。
 ペトロ岐部は2008年11月、長崎で他の187人の殉教者たちとともに「福者」に列せられました。
 1587年豊後の国に生まれたペトロ岐部は、少年時代は有馬のセミナリオ(神学校)で過ごし、その時すでに私的にイエズス会に入会する請願を立てていたと言います。しかし、1612年江戸幕府によりキリスト教禁止令が出されると、彼も他の宣教師たちとともに、マカオへ追放されてしまいます。しかし、ペトロ岐部はここで決して諦めることなく、1618年ごろマカオを出発してインド、パキスタン、イラン、イラク、ヨルダンなどを横断し、聖地エルサレムに立ち寄った後、1620年ようやくローマにたどり着きます。この地でイエズス会の修練院を訪ねたペトロ岐部は、司祭叙階を許され、間もなくイエズス会の入会も許可されるようになります。その後リスボンに移って請願を立てたペトロ岐部は、再び日本への布教を行うべく、帰国の途に就きました。

しかし、当時すでに鎖国状態にあった日本へ向かう船がほとんどなく、苦労の末、ようやく彼が再び日本の地を踏むことができたのは1630年のことでした。その頃日本では、キリシタンへの弾圧がますます激しさを増しており、各地で潜伏を続けながら布教活動をしていた岐部神父も、ついに仙台の地で捕らえられることになります。その後、江戸に送られた神父は、様々な拷問の末、最後は穴吊りの刑を受けることになります。しかし、それでも最後の最後まで信仰を捨てなかった神父は、ついに腹を火で焼かれ、絶命します。

この岐部神父の殉教の場面を心に思い浮かべるとき、わたしの脳裏に、十字架につけられ殺されたイエスご自身の姿が重なります。岐部神父や、同じ時代に殉教した多くの名もない人びとの死は、物質至上主義の時代に慣らされた人々の目には、奇異なものとして映るかもしれません。しかし、少なくともカトリックの信仰を持つわたしたちは、決してこの死から目を背けるわけにはゆきません。奇しくも、世界中が恐ろしい感染症の危機にさらされている今、従来の価値観は変化せざるを得ない状況に陥っています。真に人間が人間らしく生きることとはいったいどういうことなのか?ペトロ岐部と187人の殉教者たちは、わたしたちに問いかけているような気がします。