巻頭言

先日、NHKで放送された『こもりびと』というドラマを観ました。引きこもり生活を10年以上続けている40歳の倉田雅夫が、ひょんなことから自分の父親である倉田一夫とSNSでやり取りをすることになります(もちろん、雅夫は相手が自分の父親であることを知りません)。それぞれ【カチナシオ】、【パンク先生】という名前で交流を続ける雅夫と一夫ですが、ある時雅夫に、【パンク先生】の正体が自分の父親であるという事実が知られてしまいます。憤りを覚え、家を飛び出して行く雅夫を、一夫は必死に追いますが、二人が跨線橋の上で、感情をぶつけ合うシーンは秀逸で、思わず涙がこぼれました。

父に、「自分なんか、生きている価値がないんじゃないか?!」と、自分の心情を吐露する雅夫に対して、「生きていてくれるだけでいいんだ」と訴える父。しかし、かつてはこの父も、受験に失敗し、仕事でも挫折した息子に対して、「お前なんか生きている価値がない」と言う言葉を吐いていたのでした。

現代のような効率重視の世の中にあっては、たとえ引きこもりとまではいかなくても、「自分のような無能なものは生きていてもしかたがない」とか、「自分は誰からも必要とされていない。いてもいなくても同じなんじゃないか」という風に考えてしまう人は、少なからずいるのではないでしょうか?人は何かにつけて優劣をつけたがり、「あの人は尊敬に値する人だ」と言ってみたり、反対に「あいつはどうしようもない人間だ」と簡単に批判したりします。しかしここに、そのような優劣に関わらず、すべての人を無条件に愛してくださった方がいます。その方の名はイエズス・キリストです。約2,000年前、キリストは幼子の姿で、貧しい馬小屋でお生まれになりました。キリストがこの世に来られたのは、わたしたちが救われるに値するほど正しく考え、よい行いをしたからではなく、むしろまったく無条件に、すべての人を愛するがためなのです。キリストはこのように愛に対して、見返りをいっさい求めません。それゆえにわたしたちは、ただあるがままの自分を愛していただけるということに、大きな安心感を得ることができるのです。今月、降誕祭を迎えるにあたって、このような神の無償の愛が、一人でも多くの人々に伝えられるように、わたしたちにできることは何なのか考えてみたいと思います。