


巻頭言
「トルコ巡礼旅行記」―パウロの言葉をたどる旅― その3
イスタンブールでは、至る所にイスラムのモスクが建てられていて、丸天井のドーム屋根に尖塔(ミナーレ)が目に入る。京都のお寺のように数が多いのだが、トルコの寺院は皆同じ建築であり、かなり大きい。トルコは古くからヨーロッパとアジアが行き交うところ。古代から様々な特産物、ガラスや銅、香辛料が取引され、いろんな民族も交流した。そのためか、人々は異なる宗教、文化、価値観に寛容にならざるを得ず、イスラム圏のわりにはイスラムの慣習にゆるいのか、と納得した。イスラム教の祈りは一日に5回あり、その都度高いミナーレから大音響で男性の声の祈りが町中に流れるのだが、ゆったりと紅茶を飲み語り合う人々には、自由な空気感を感じた。
トルコでキリスト教徒がどのように増えて行ったのかは、勉強不足でよくわからない。でも、パウロがいつもイエスの弟子として福音宣教をしていたことは、聖書から伝わって来る。「私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて下さったのは神です。」(Ⅰコリント3:6) 手紙という形でキリストの教会に集まった信徒たちに何度も読み上げられたのだろう。
パウロからもらったエネルギーで、神殿や市場に集まるアポロ信仰の強い人々にキリストの教えを伝え、カッパドキアの岩屋に住み過酷な生活を続けられたのだろう。6世紀にマホメットによっておこされた砂漠の新興宗教は、武力とアラビア商人の力をもって瞬く間に中近東に拡大した。その結果、パウロらの働きによってキリスト教が栄えていたトルコ半島はイスラム化されしまい、今に至っている。